キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の違い

【記事の目的】

この記事はキリスト教やユダヤ教、イスラム教の違いについてわからない方向けに解説する記事です。

イスラム教、中東戦争、聖地エルサレム、キリスト教とユダヤ教の違い、シリア内戦。。。

よくわかりませんよね。学校の授業でも教えてくれません。

なぜか?

先生もよくわかっていないからです!

私も全然わかりませんでした。なので本読んだことを整理してみます。

備忘録に近いですが、みなさんにも共有できたらと思い、ここに書き綴ります!

いわゆるアウトプットですね!!笑

まず宗教について整理してみましょう。

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教

ユダヤ教

3つの中で一番古い宗教で自分たちは神が作ったアダムの子孫・選ばれし民であることから、救われるという考えを持ちます。

神が天地創造し、「光あれ」と言い、6日間で世界を作り1日休みました。

アダムとイヴが禁断の果実食べて楽園追放される話や、ノアの箱舟で150日間の洪水の話で有名なのがユダヤ教です。神によってえらばれたノアの子孫がユダヤ教ということになっています。

アブラハムの契約

ノアの子孫であるアブラハム(ユダヤの父)が神のお告げを受けカナンの地(パレスチナ)へ到着し、その地を与えられる。息子のイサクを岩の上で殺す直前に神に許され、その岩が岩のドームとなる。イスラム教のムハンマドと被る。

時は流れ

BC17世紀ごろ飢饉によりエジプトへ避難するも、多神教のエジプトを尊重しない一神教のユダヤ人はファラオに奴隷として使われる。400年後ユダヤ人モーセに神のお告げがあり、ユダヤ人60万人以上を連れてカナンの地を目指す。追われている時にモーセが紅海を割って逃げ、シナイ半島につき、そこで神から2枚の石板「十戒」を授かる。エジプトに逃げている間にカナンの地パレスチナはペリシテ人の土地となっていた。

後継のヨシュアがパレスチナへ到着するもゴリアテという巨人に阻まれる。

後継者の2代目の王ダビデ王が意思を投げてゴリアテを倒す。だからダビデ像は石持ってる。

カナンの地に到着し、イスラエルを建国。

後継の3代目の王ソロモン王が石板を収めて神殿を作った。

その後攻められて捕まる。そこにガブリエルが来て知恵と悟りを授け、ヘロデ王が神殿を再建させる。

66~70年 ユダヤ戦争とバル・コホバ蜂起(132~135年)の2度のローマ軍への反乱を起こすも失敗、ローマ帝国により神殿をまた壊される(残ったのが嘆きの壁)。

132年???離散。イスラエルから追い出される。ディアスポラ(離散)

いつか救世主が現れる!!ここで話が終わる。

1948年に建国

ソロモン王が死ぬと王子機は南北に別れ、北のイスラエル王国はBC721にアッシリアに滅ぼされ、南のユダ王国は新バビロニアに滅ぼされ、ユダヤ人は捕虜としてバビロン(イラク)へ連行。 バビロン捕囚

BC538年に新バビロニアはペルシャに滅ぼされ、ユダヤ人はパレスチナに帰れる。

キリスト教

ユダヤ教の言う救世主はイエスであった!!

ローマ帝国に征服されているパレスチナのユダヤ人にマリアがおり、ある日ガブリエルが子供(神の子)を授ける。⇒イエス

ユダヤ教は神に選ばれたユダヤ人は救われるというが、キリストは「信じる者は救われる(ユダヤ人でなくとも)」と言い、ユダヤ教を改革しようとした。周囲のユダヤ人に特にユダに裏切られローマ帝国に引き渡されゴルゴダの丘で処刑。

3日後に復活。

イエスこそユダヤ教の言う救世主であると広まる。各地で奇跡を起こしまくり、最終的に昇天する。キリストとは救世主という意味。

キリスト教があまりにも広がりローマ帝国の暴君ネロも弾圧を図るも失敗。

392年 弾圧しきれないほどローマ帝国に広まり、国教として扱われた。

ローマ帝国に弾圧されるも、最終的にローマ帝国を飲みこんだ。

イスラム教

610年サウジアラビアのメッカに商人ムハンマドがおり、40歳から洞窟にこもって瞑想していたらガブリエルの声を聴き、預言者(モーセの後任)になる。

622年ヒジュラ(聖遷) 予言を広めても非難され、メッカからヤスリブへ移動し、そこで活動。のちにヤスリブはマディーナ(光り輝く街)に改名。622年7月16日マディーナへの到着日を新しい社会の形成としてイスラムの暦の起点となる。

624年バルト戦役 ムハンマド勢300人VSメッカのコライシュ族1,000人に勝利。

630年 1万人を率いてメッカへ無血入城。

コーランが作られる。

632年62歳でガブリエルからお告げがあり天馬に乗り一夜でエルサレムへ行き、岩のドームで昇天する。

モーセもイエスもガブリエルの声を聴いた預言者であるが、最後の預言者のムハンマドこそ至高という考え。

コーラン 啓示のみを集めたもの(トランス状態)

ハディース ムハンマドの言葉(通常の状態)、嫁の名前はハディーシャ

ラマダーン月 9月は断食、日の出から日没まで水も飲まない。

エルサレムが聖地

ユダヤ教 神から与えられた土地であり、石板を収めた神殿があった。残った嘆きの壁

キリスト教 ゴルゴダの丘でイエスが殺され、そこに聖墳墓協会(イエスの墓)がある

イスラム教 岩のドームでムハンマドが昇天

アル=アクサー・モスク ムハンマド昇天を記念して作られたもの

イスラム教徒にとって、エルサレムは、メッカ、メディナにつぐ第3の聖地とされる。

アラブ人とはアラビア語(右から左に書く)を母国語とする人々で、国際機構のアラブ連盟に加盟、本部はエジプトの首都カイロに置く。トルコやペルシャ語を話すイランはアラブではない。イスラエルはユダヤ教でヘブライ語

大戦の始まり

1096年~1272年 十字軍遠征とシオニズム運動

ローマ帝国が追いやられた後、イスラム教系の国が現れ支配していた。中東がイスラム教系に支配されているので、ローマ教皇(キリスト教)がエルサレムを取り戻そうと十字軍を派遣するも失敗。十字軍がならず者集団になり、4万人の市民殺害という黒歴史になる。

1303年 アナーニ事件 黒歴史をつくったローマ教皇がフランス国王に逮捕される。

(のちに2001年9.11の際にブッシュはテロに対する十字軍という無神経な発言をする)

十字軍の後、ユダヤ人はスペイン、ロシア等各地で迫害・虐殺を受け、自国をパレスチナに再建しようという運動(シオニズム運動)が起こる。パレスチナの土地はユダヤ人富豪のロスチャイルド家が匿名で支援し購入していく。

第一次世界大戦 1914~1918年

諸悪の根源イギリスの三枚舌外交

イギリスがオスマン帝国を潰したい三枚舌外交を使う。

・アラブ人 フサイン・マクマホン協定 内乱起こして協力したらそこに建国していいよ 

・ユダヤ人 バルフォア宣言 

金くれたら建国していいよ。ユダヤ人はちりぢりになって、キリスト教では禁止されていた利子をとって行う金貸しをやるしかなく、金のノウハウを身に着け金持ちになっていた。

また、キリスト教の欧州ではイエスを殺した悪族と迫害されていた。

・仏露(三国協商) サイクス・ピコ協定 勝ったら三分割しよう 

結果、パレスチナはイギリスが委任統治するが、もちろんユダヤ人が独立運動を開始。ゲリラ活動やテロ活動が多発し、中でもイギリス兵士が2人殺され街中に死体が吊るされたことで、イギリス国内から撤退の声が上がり、撤退する。

第二次世界大戦 1939~1945年

ホロコースト ナチスのユダヤ人600万人、ロマ人(ジプシー)22万人虐殺 金稼ぎしているユダヤ人が悪い!!責任者のアイヒマンは60年にアルゼンチンでイスラエルに捕まり62年死刑。虐殺の様子はアンネ・フランクの「アンネの日記」に記されている。

ポグロム ロシアでユダヤ人に対する暴行が多発するも、政府はガス抜きとして黙認。

ユダヤ人がイギリス人向けにパレスチナで残酷なテロ起こし映像が公開され、大戦で疲弊しているイギリスは撤退し、国連が管理する。国連が調査団を派遣し、分割をするが、その際にユダヤ人は何もないとされるネゲブ砂漠を要望しとった(後にウランが取れることが判明)。

1947年11月29日 国連総会でパレスチナ分割案が可決し、翌年建国。

パレスチナをアラブ人とユダヤ人で分け、ユダヤ人の国にイスラエルが建国⇒アラブ人が2000年間住んでいたのに、急にユダヤ人の国建国と言われ、アラブ人が戦争を仕掛ける。

パレスチナに住むアラブ人の自治を認めさせる戦争

1948年 第一次中東戦争 イスラエル VS アラブ諸国

原因:パレスチナ領域にイスラエル建国

結果:イスラエル勝利で領土拡大、停戦ライン(グリーンライン)がイスラエル国境となる。

イスラエルにはアメリカがバックにつく。ユダヤ人はアメリカに影響力あり。

1948年5月14日 イスラエル樹立宣言 初代首相はシオニズム運動のリーダー、ベングリオン。翌15日委任統治を終えたイギリスがパレスチナ撤退。15日アメリカが建国を承認、16日にソ連も承認。60万人のユダヤ人が400万人のアラブ人のど真ん中に国をつくる。イスラエル建国に怒ったアラブ諸国がイスラエルに戦争を仕掛ける。15日にイギリス軍が撤退するとアラブ連合が攻め込み、数で圧倒されたイスラエル軍は連戦連敗ながら、イギリスが4週間の停戦を国連に申請し、助かる。停戦の間に兵力の補充を行ったイスラエルは、統制の取れていないアラブ連合に勝利。領地拡大。

1956年10月29日 第二次中東戦争(スエズ戦争) イスラエル VS エジプト+英仏

原因:エジプトが英仏のスエズ運河を国有化

結果:停戦でエジプトはスエズ運河獲得

1952年にエジプトでナセルやサダドという自由将校団がクーデターを起こし、第一次中東戦争で負けた責任を追及し、ファルーク王を追放、無血革命。イギリス・フランスが共同で作り、利権を保有するスエズ運河をエジプトが国有化し、激怒。

イギリス・フランスがイスラエルをけしかけてエジプトを攻撃させる。イスラエル軍が圧倒するも、ナセルが国連に訴え、ソ連やアメリカの批判があり撤退。結果的にスエズ運河はエジプトが保有することになり、ナセルは英雄となる。ちなみにスエズ運河の通行料は現在船一隻5,000万円程度。

1967年6月5日 第三次中東戦争 イスラエル VS エジプト

原因:アメリカの弱体化を狙ったソ連の誘導

結果:6日間で仕掛けたエジプトが秒殺される。イスラエルが領土拡大

その後エジプトとイスラエルに国連軍が駐屯していたため安定していたが、アメリカと冷戦中のソ連はアメリカが支援しているイスラエルがエジプトに負ければ優位に立てると考え、イスラエルが戦争準備しているという偽情報をエジプトに流す。それを信じたナセルが戦争を開始。イスラエル軍の空爆により大敗、わずか6日間で負ける。

PLO VS イスラエル

原因:アラブ連合が使えないので、自分たちで奪還する

結界:PLO勝利で一部奪還

1968年3月21日アラブ人が頼りないのでパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長はパレスチナ奪還のためにイスラエルに対してゲリラ戦を仕掛け、イスラエル軍を追い返すことに成功し、領土を一部奪還。PLO本部のヨルダンに多くのアラブ人が集まる。

PLO(ヨルダン) VS ヨルダン政府 ヨルダン内戦

原因:PLOをヨルダン政府が抑えるため

結果:PLO負けてレバノンへ

1970年9月12日 パレスチナ・ゲリラはイギリス、スイスなどの航空機4機をハイジャックし、3機をヨルダンの砂漠で爆破。16日にヨルダン政府がPLOに宣戦布告し、負けたPLOはレバノンに逃れる。ここでナセル大統領が心臓麻痺で死亡。

日本赤軍による虐殺

1972年 日本赤軍がテルアビブ空港で銃乱射し、26日が死亡。同年、「黒い九月」がミュンヘンオリンピックでイスラエル選手11人を殺害。PLO傘下のゲリラは66年~88年の20年間で565件のテロを実施。

イスラエル VS PLO(レバノン)

原因:PLO潰したい

結果:PLOはチュニジアへ

1982年イスラエル軍はレバノン・ベイルートのPLOを攻撃、アラファト議長は15,000人のパレスチナ・ゲリラを連れてチュニジアへ避難。

ナセル大統領の死後、サダト副大統領がイスラエルに対し、パレスチナ人の自治を認めれば和平協定を結ぶことを提案するも、拒否。パレスチナ問題など存在しないというスタンス。

1973年10月6日 第四次中東戦争、十月戦争、ヨム・キプール(贖罪の日)戦争

エジプト+シリア VS イスラエル

原因:イスラエルがパレスチナ自治を1mmも譲らないから

結果:アメリカの停戦協定、オイルショックが起こる

イスラエルの贖罪の日(仕事を休み家で過ごす日)を狙えば抵抗できないと踏んでシリア軍と共にエジプト軍がイスラエル軍を攻撃。イスラエルには「モサド」という諜報機関があり、事前に情報を入手するも首相は信じなかったため、大混乱。用意していた核兵器まで使用するところだった。

エジプト軍がスエズ運河を渡ってきてからイスラエル軍が反撃を開始したのを見てアメリカが停戦提案。

サダトが1977年11月敵地イスラエルを訪問し、パレスチナ自治を提案するも拒否される。

サウジアラビア等アラブ側は友好国にはだけ石油を売り、OPECも価格を4倍にすることで、敵国を困窮させようとした。これによりオイルショックが発生し、日本は非友好国とされアラブ寄りの政策へ転換するも、経済打撃は大きかった。

1979年3月26日 キャンプ・デービッド合意にて中東戦争終了

1978年9月米大統領ジミー・カーターが仲介役となり別荘キャンプ・デービッドに両国の高官を集めて話し合う。エジプトがイスラエルを認め国交を持ち、イスラエルはシナイ半島を返還、ガザ地区、ヨルダン川西岸地区に自治区域を認めるという内容で合意し、平和条約締結。サダド大統領と、ベギン首相はノーベル平和賞受賞。

1981年10月6日 サダド大統領はパレスチナを捨てたとしてパレードの最中にイスラム過激派に暗殺される。

1987年 インティファーダ イスラエル人に対する反抗

1967年からイスラエル軍に占拠されてきたパレスチナ人であるが、ある時交通事故でパレスチナ人4人が軍によって殺された際に、18歳がイスラエル軍に意思を投げたら銃殺された。これが周囲にも拡大され、イスラエル軍を見ると石や火炎瓶をなげるようになった。

弾圧の為に市民を攻撃することでイスラエルは国際的に批判を受け、同上を買ったパレスチナのアラファト議長は1988年12月、イスラエルの生存を認め、いかなるテロ行為も停止すると宣言した。

1979年2月 イラン・イスラム革命

アメリカCIAのスパイ政権のイランパーレビ王朝が崩壊。革命の指導者はパリ亡命中のシーア派法学者アヤトラ・ホメイニ。共鳴したイランの学生が各地で大使館を人質にとり、14か月間大使館を占領。イランが王政をなくし革命を実現したシーア派の国家となり、スンニ派で王政のサウジアラビアが危機感を覚える。中東でスンニ派の国々がイランを孤立させることになる。

ここでレバノンにもシーア派を送り込み、イスラエルと戦うためのヒズボラができた。リーダーはナスララ。

1980年 イラン・イラク戦争

イラクでは1979年にフセインが大統領になり、翌80年にイランを攻撃。アメリカはイランと国交断絶しており、イラクを支援。イラク・フセイン政権は毒ガスを使いイラン軍に協力したクルド人を大量虐殺。1988年停戦。

1979年~1989年 アフガニスタン紛争

ソ連VSイスラム教(イスラム戦士ムジャヒディーン)+アメリカ支援

原因:不凍港と緩衝地が欲しいソ連がアフガニスタン侵攻

アフガニスタンがあれていて、ソ連に対する脅威になる可能性あり、攻める

結果:ソ連失敗により撤退。

   タリバン政権がアフガニスタンにできる

これがソ連崩壊を速めた!! 

ソ連は宗教は麻薬と同じという共産主義はやばい

ソ連はヘリからの攻撃でアフガニスタンを圧倒していた。

アメリカはソ連を潰したいからアフガニスタンを支援する。隣国のイランは反米国家であり、パキスタン経由でスティンガーという地対空ミサイル(ヘリの温度を自動追尾する)を送る。

1989年2月ソ連が撤退するのでもう知らんと撤退するも、パキスタンはスティンガーを一部横領していた。アフガニスタンは崩壊しており、民族内戦を狙う。

パキスタンと隣国インドは仲悪い。

アフガニスタンを支配下に置きたいパキスタンのイスラム原理主義者「デオバンド派」はアフガニスタンから逃れてきた若い難民を集めて神学校を作り、イスラム過激派の思想を持つ学生をアフガニスタンに送りだす。⇒タリバン(学生)

ビンラディンも一員。実はサウジの御曹司

アフガニスタンにパキスタンの支配下のタリバン政権ができる

厳格な規律ができ、金曜日には公開処刑が実施 窃盗は右手切断

1990年 湾岸戦争 イラクVS 多国籍軍

原因:イラクのフセインがクウェートは石油が出るのでほしい

   しかしクウェートもとるとイラクが世界の石油の2割を持つことになるのでアメリカが許さない

結果:イラク惨敗、米軍がサウジ駐留、ビンラディンがアフガニスタンでアルカイダ組織。

   経済制裁

ソ連が弱まったところを好機にイラクがクウェートへ侵攻。

隣国のサウジアラビアがビビる。アメリカは干渉しすぎも良くないので、理由が欲しい。

キリスト教とイスラム教は十字軍で仲悪い。1991年2月24日アメリカとアラブの多国籍軍で攻撃し、地上戦は100時間でクウェート侵攻を阻止、1991年2月28日イラクが無条件降伏。アメリカ軍がサウジアラビアに駐在。厳格なイスラム教の国にアメリカ軍が来るのが許せないビンラディンは告訴するも棄却。

ビンラディンがサウジアラビアから追放される。タリバンの旧友の多いアフガニスタンに行く。

⇒1988年アルカイダを組織!アメリカがイスラム諸国を混乱させた!

1991年10月30日 中東平和会議がマドリードで開かれるも、シャミル首相(イスラエル)は占領地を手放す気はなく、まとまらずに終わる。

1991年12月ソ連崩壊(冷戦終結)

1993年9月13日 オスロ合意

 ノルウェーの仲介によりイスラエル内にパレスチナ自治区(ガザ地区・ヨルダン川西岸地区)が認められる。ノルウェーの首都オスロで交渉がまとまり、ビルクリントンが保証人となり、ホワイトハウスで調印された。中東平和会議でイスラエルとアラブ諸国の話はまとまらなくとも、同時並行していたイスラエルとパレスチナの話はまとまった。アラファトPLO議長とラビン首相(イスラエル)はノーベル平和賞受賞。パパブッシュの努力が実り、ビルクリントンの棚ぼた成績。1994年7月1日アラファト議長がチュニジアからパレスチナへ帰還し、国民が大喜び。首都はテルアビブと決めるも、イスラエルとしてはエルサレムが首都。

1994年7月25日 イスラエルとヨルダンの和平協定締結。

1995年11月4日 テルアビブで集会を開き「平和の歌」を歌っている際に、和平反対派のユダヤ人がラビン首相を銃殺。ペレス外相が首相となるはずが、パレスチナのイスラム過激派「ハマス」の指導者の一人を暗殺し、報復として自爆テロが多発。1996年の選挙で和平反対派のベンヤミン・ネタニヤフに敗北。

1999年ネタニヤフを破り和平推進派のバラク首相誕生。PLOにかなり譲歩した条件提示するも、一切妥協しないアラファトにより交渉決裂。

2000年9月28日 第二インティファーダ

和平反対派シャロン国防相(イスラエル)が神殿の丘に足を踏み入れ、パレスチナ人が意思を投げつける。

2001年1月に再開された和平会議でバラク首相が占領地の96%(前回比+4%)を返還すると妥協したにもかかわらず、アラファトは受け入れず、和平締結の機会を逃す。

2001年2月の選挙でバラクは敗れ、シャロンが首相になる。ハマスやイスラム聖戦はテロを過激化

ガザ地区ではモスクに行くとテロの勧誘にあう。

イラクの内情

6割がイスラムシーア派、2割がスンニ派。北部の2割がクルド人で混乱状態を束ねていたのがスンニ派のサダム・フセインであったため、パパブッシュはイラクを攻撃しても深追いはしなかった。

パキスタンとマララ

アフガニスタンでタリバンが暴れたように、パキスタン国内でもタリバンが組織される。(同じタリバンでも別組織。)女性に厳しく、女子高が焼かれる国では勉強ができないと声を上げたのがマララさん。下校中のバスで襲撃されるも、今はイギリスで勉強中。2014年ノーベル平和賞受賞。

パキスタンは核保有国であり、それがイスラム国に渡ると危険。

アルカイダの人間をアメリカのパイロット養成所に送り込む。

着陸の練習はあんま熱心でなかった。テロの為!!!

2001年9月11日 アルカイダのビンラディンが同時多発テロ

同時多発テロは4か所狙われた。3000人以上が死亡

ペンタゴン命中+議事堂狙ったけど行けずにちかくのとこを破壊した

すぐにビンラディンが匿われているアフガニスタンのタリバン政権を攻撃し、崩壊させる。そこにアメリカ流の国家をつくろうとするも、もちろん失敗。つぎはイラク。2011年5月1日オサマ・ビンラディン殺害

2003年3月20日 イラク戦争 アメリカのイラク侵攻

原因:アラブ石油地帯支配を目論み、難癖つけて戦争開始

結果:内乱状態になり、イスラム国の源流となる。

フセイン政権が大量破壊兵器を開発し、アルカイダと組んでアメリカを攻撃しようとしているとの疑惑のみからイラク戦争を開始。証拠もない戦争に国連は賛成せず、ドイツ・フランスも支持しなかった。

イラクはシーア派の国であるが、少数のスンニ派のフセインが武力で支配していたおかげで内戦は起こらずにいた。しかもフセインは原理主義者をすぐに殺していたので死刑にすべきではなかった。スンニ派のバース党をすべて公職追放し、国の機能がなくなり、シーア派がスンニ派を殺し始めたため、スンニ派が武装、←アルカイダが合流、つまりフセイン(死んでる)とビンラディンが合流!イスラム国の前身となる。

5月1日に勝利宣言をしたが、結局フセインとアルカイダの関係を証明するものは出てこなく、ただ絵メリカへの憎悪が募り、その後のテロを誘発することになった。

・スンニ派 血統ではなく能力 全イスラム教徒の85%

・シーア派 血統が大事 15%

・アラウィ派 シーア派から派生した過激派、アサド一族。

2003年6月 ロードマップ

ブッシュが国連やEUと協力して和平構想をつくる。アラファトは信用できないので、パレスチナ自治区に首相の職をつくらせ、アッバスが就く。シャロン首相との3人で和平交渉するも叶わず。アッバスはすぐに辞任。シャロンはコンクリートの壁を680キロにわたってつくる。

2004年1月にシャロンはガザ地区から入植地も軍隊も撤退すると発表。壁作成の批判緩和の為。壁に関して国際司法裁判所が違法としても聞かない。

11月にアラファト死亡。独裁であり、後継者は知らん。

2005年8月 イスラエルは入植地をパレスチナ自治政府へ返還すると、パレスチナ側は勝利と捉え、戦闘的になる。

2006年1月 パレスチナの評議会でガザ地区の反イスラエルの過激派組織「ハマス」を支持し、その後ハマスはイスラエルと衝突を繰り返す。

ハマスの要求

①グリーンラインを国境にする(分離壁反対)。

②イスラエル内へのパレスチナ難民の帰還

③全イスラエル入植地の撤廃

④エルサレムをパレスチナの首都とする

2007年5月 ガザ地区でハマス VS ファタハ(アラファトが作った組織)が起こり、ハマスがガザ地区を支配、ファタハはヨルダン川西岸地区を支配

ガザ地区はイスラエルの分離壁に完全に囲まれ、天井の無い刑務所と呼ばれる。

2か所の出入り口があるのみで、検問もあるので、勝手にトンネル掘って、エジプトと貿易してた。

2006年6月 ガザ地区でピクニックしてたパレスチナ一家がイスラエルのミサイル誤射で死亡、ハマスが反撃する。ハマス+ヒズボラ(レバノン) VS イスラエル

イスラエル軍の猛攻にヒズボラが耐えた!

2008年12月 イスラエル軍はハマスを潰すためにガザ地区を空爆、歩兵隊も進撃

2009年の選挙で、ハマスを無力化できなかったことからオルメルト首相は負け、ネタニヤフ首相へ。

ガザが封鎖され食料も水もない中で、国連が封鎖解除をイスラエルに求めるも無視。各国の団体が支援物資を供給しようとするもすべて拿捕もしくは殺害。ガザ地区は困窮を極める。

2009年1月20日 オバマ政権誕生 

アルカイダがイスラム国つくる。シリアにヌスラ戦線作る。

イスラム国指導者アブーバクル・バグダディは自らをカリフと称す。アブーバクルは最初のカリフの名前、バグダディはバグダッド出身という意味。

アフガニスタンにビンラディン引き渡しを拒否。アメリカが攻め、タリバン政権崩壊

ビンラディンは逃げた

2011年9月 パレスチナ自治区のアッバス議長はパレスチナを国として見て目ることを国連に申請するも、イスラエルを支援し、拒否権をもつアメリカが反対し叶わず。一方ユネスコは加盟を認め、アメリカはユネスコへの拠出金を停止。

パレスチナ難民とはパレスチナに住んでいたが、その地を追われたイスラム教を信じるアラブ人

リビアでも内戦が起きているが、石油が出ないため、シリアのように支援が来ない。

レバノン

1982年 イスラエルの侵攻に対しイスラム教原理主義過激派勢力 ヒズボラが誕生。シーア派。

イスラエルに住んでいるのはユダヤ人とイスラエル国籍を持つアラブ人、パレスチナに住むのはアラブ人。パレスチナはもともとアラブ人が住んでいたが、イスラエルが建国され、パレスチナ難民=パレスチナ人となる。

2012年11月14日ガザ地区を支配しているハマスのトップをイスラエル軍が空爆。

国連がパレスチナを準国家として認める。イスラエルはパレスチナの土地を奪いたい。

イスラエルのネタニヤフ首相はオスロ合意を破り、パレスチナ自治区にユダヤ人の家をつくりまくっている。

2018年アメリカ大使館をエルサレムへ移転(聖地のある旧市街ではない)

クシュナー大統領上級顧問はユダヤ人

アメリカに住むユダヤ人の数は500万人以上おり、選挙に影響してくる。

アラブの春 独裁政権に対する反政府運動

チュニジアの民主化運動(ジャスミン革命)が成功し、シリアのアサド政権を打倒する運動が始める。アラビア半島へも飛び火し、イエメン、シリアも崩壊

2010年12月17日年 ジャスミン革命 

生活のために路上で野菜を売っていると警官に許可なくやっているとされすべて没収される。賄賂を渡せば済むものを、正義感から当局に通報するが、相手にされず焼身自殺し、映像がfacebookで拡散。10万人規模のデモとなり、戒厳令を出すも、軍隊が拒否し失敗。イスラム教にとって焼身自殺はタブーで地獄行きとなるもの。これにより市民がデモを起こし23年間独裁を続けたベンアリ大統領がサウジアラビアに亡命し(フランスはサルコジに断られた)、革命完了。前任のブルギバ大統領は30年、ベンアリは23年の合計53年間の独裁が終了。ジャスミンはチュニジアを代表する花。

しかし、選挙の結果ベンアリ側の大統領が当選し、状況は悪化。武力に頼るしかないということでイスラム国へ行く若者が多発。

エジプト偏

1981年にサダド大統領が暗殺され、副大統領のムバラクが昇格。

ジャスミン革命を受けて若者がデモを企画し、多くの参加者が犠牲になるも革命成功。しかし、軍人出身でない大統領となるも、1年で軍によるクーデターが発生、2014年6月にシン大統領となる。終身刑であったムバラクが無罪となり、デモ中核参加者は死刑と逆戻り。

リビア偏

カダフィ大佐

1979年エジプトとイスラエルが和平協定を結ぶと、アラブ統一の想いが強いカダフィは反発、反イスラエルのテロ団体を支援。

1988年にアメリカのジャンボジェット、次にフランス旅客機を爆破して国連より石油を買わないという経済制裁を受ける。アメリカ・フランスに被害者一人につき10億円払うと制裁解除。2001年9.11テロでアメリカがリビアをテロ組織認定で経済制裁をすると、核開発を放棄し、テロ情報を売りまり、経済制裁を再解除。やはりみんな石油が欲しい。

圧政に耐えかねた市民がデモを開始するも、すぐさま銃殺。石油を積んで要塞に自爆テロを行い、要塞陥落、市民が要塞の武器を手に取り本格的な内戦の開始。国軍も一部寝返るも、国が空爆を行い劣勢。2011年8月20日 国連に助けを求めると、3日で勝利。カダフィは殺される。

2011年2月 リビアでも起こる

民主化が進むと過激な思想を持つ勢力が伸長するという民主化のジレンマ・パラドックス

シリア内戦

主要産業は秘密警察

テロ組織の拡大

「イラクのイスラム国(ISI)(指導者アブー・ウマル・アル=バグダディは後のアブーバクル・バグダディとは別で、2010年に米軍に殺害されている。)」はアラブの春がシリアにも飛び火してきたことを好機ととらえ、シリア支部「ヌスラ戦線」を設立。アルカイダ本部より反対意見があり、バグダディ率いるイラクのイスラム国はアルカイダと決裂、ISIL(アイシル)となる。まずは強いアサド政権ではなく、自由シリア軍を攻撃し、武器を奪い、その後イラクへ戻る。

アメリカがフセイン政権を崩壊させ、新たな国軍を支援するために大量の武器を支援し、撤退したところにシリアからISILがやってきて倒され、アメリカの豊富な武器はすべて奪われる。結果、イラクとシリアにまたがる強大な組織が完成。各国の共鳴者に独自にテロを起こすよう指示。

ロシアがシリア支持

反政府軍をアメリカイギリスを支援する中、アサド政権をロシアが支援 ロシアの不凍港がある

戦後みんなEU側についたが、シリアはまだロシア側だから守りたい。

イスラム国⇒イラクとシリアのイスラム国⇒イスラム国

イスラム国はアサド政権と反政府軍を攻撃している。

共産主義ソ連とアメリカの争いから始まり、今も続いている。

ロシアはアサド政権を支援している中で、EUより自由シリア軍を支援してアサド政権を倒すべきと言われたアメリカは、共通の敵であるイスラム国を倒すことでロシアと合意。

しかし、ゲリラ戦を行うイスラム国に苦戦し、アメリカ兵士の犠牲を出したくないアメリカはクルド人を使う。

さらにアメリカはイランに目をつける。同じシーア派でアサド政権を応援するイランにもイスラム国と戦うことを提案し、核合意と経済制裁の解除を行い、イラン革命防衛隊(アルクッズ部隊)が参戦。

ロシアとサウジアラビアが接近。スンニ派サウジアラビアはシーア派イランと国交断絶状態。いままでアメリカは石油取引の為サウジアラビアを大事にしてきたが、シェール革命により重要度は低下、そっけなくなり、ロシアに接近し、核開発を進める態度を見せる。イランとサウジアラビアも昔は仲良かったが、イラン・イスラム革命で国交断絶。サウジアラビアとのつながりもなくなり今がチャンスとイラクのフセインが攻撃し、8年間のイラクイラン戦争が開始。そこから湾岸戦争へ!湾岸戦争でイラクを倒すためにイランとサウジアラビアは手を組んだが、イランが秘密裏に核開発をおこなっていることが発覚し、関係悪化、そこにアラブの春がくる。サウジアラビア国内のシーア派が民主化運動を行い、国内の混乱を招いたとしてシーア派指導者を処刑、2016年に再度国交断絶。

イラン最高指導者

イランは首相でも大統領でもなく最高指導者がいる。イランは血統を重んずるシーア派であり、カリフ・アリーの血を引くもの(イマーム)が最高指導者にふさわしく、その12代目イマームが突如姿を消した際に、現れるまではレベルの高い法学者が代理を務める。現在アリー・ハメネイが2代目最高指導者。シーア派では黒いターバンがムハンマドの血族であるとされるため、ロウハニ大統領は白いターバン、イマームの代理のハメネイは白いターバンを巻いている。

2017年1月 トランプ政権発足以降、自由シリア軍への支援がなくなり、アサド政権勝利、ロシアも安泰とみて撤退した。

スンニ派ササウジアラビアはシーア派イランの強大化により天敵イスラエルと接近している。

ハムザ・ビンラディン 2011年パキスタンでアメリカ特殊部隊に殺害されたオサマ・ビンラディンの息子。

ISは国をつくりたいが、アルカイダはただテロを行うだけ

2014年6月に首都をラッカとして国家樹立宣言

2017年にアブー・バクル・アル=バグダディが死亡し、今や壊滅状態。収まるかと思いきやアサド政権が民間人を空爆、化学兵器を使ったとして2018年4月13日アメリカ・イギリス・フランスが施設を攻撃。ISが滅びても内戦が沈下しないのは、今まで打倒ISでまとまっていたテロ組織が活発に動き出したため。

クルド人が活躍し、国家樹立となって困るトルコは、シリア国内にいるクルド人を攻撃し始める。そこで仲が悪かったが、アサド政権と組み、トルコに対峙。2017年9月クルド人が独立のための住民投票を実施するも、イラク政府は意見だと主張。

イランはアサド政権と同じくシーア派のレバノン・ヒズボラに武器支援を行い、強力な武器をレバノンに設置。隣国の強化におそれたイスラエルが、輸送トラックを爆撃し緊迫。

イエメンの代理戦争

イエメンでも内戦が発生しており、スンニ派の政府軍をサウジアラビア・UAEが支援、シーア派の反体制派をイランが支援している。サウジアラビアはイランからの武器輸入を恐れて、政府に指示をして空港を封鎖、結果物資も衣料品も不足し、飢餓状態の世界最貧国。

随時更新します。

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ポポル村長

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